私が在籍するクラスは学校でも若い人が多く揃ったクラスである。

しかし乱れているわけでなく若者の危険性が見えない良いクラスだと思っていた。
正直、皆の優しさには驚いた。見ていた私は久しぶりに心地よい気持ちになる。予想以上だったのだ。

彼は何て幸せ者なんだと思う。

ある人はこう言う。

自分が死んだ時に一体どれだけの人が葬式に来てくれるかな?
どれだけの人が自分のために涙を流してくれるんだろうか?

たくさんの人がいろいろなことを考えさせられている。

これは彼にとってもクラスにとっても乗り越えなければならない試練なのである。

これは運命なのだから。

私は無宗教者だ。それは心に神仏がいるのを信じているのであって宗教というものに捕われなければ成しえないことが嫌いだからだ。

そもそも宗教というのは人間が作り(神という存在もそうかもしれないが)人間の幸せを願い救うものだったはず。

歴史を見つめなおせば政治、お金、戦争…様々な欲望によって利用されているのも事実である。

私はそれが好きではない、むしろ嫌いだ。もちろん宗教は自由だと思うし法律でも宗教の自由は認められているし否定もしない。

だが信じる者しか救わない神や宗教は絶対にお断りである!

というように無宗教者である私は霊も霊界というあの世も輪廻転生というものを信じている。

教え自体は仏教であるが、どのような事も良いものは取り入れ悪いもの、悪いことは素直に非を認め謝り排除するというのが私の生き方であり考え方だ。つまりは私は仏教の輪廻転生という教えを受け入れた。

産まれた時に前世の記憶をもっていたり胎内にいる時の記憶があったりするのが根拠となっている部分である。

※かといって人に押し付けるのは好きではないので信じない人は信じないで流してもらいたい。

私の信じている霊能力者がいる。私も少し、そして私の家族もお世話になったのだがその力は本物だった。

その先生が見てくれたらしく、やはり彼はまだそこにいるらしい。かなり霊が強く無念さがあると。また皆が引き止めている部分も少なからずあるらしい。

私は当初皆に言っていた。決して彼を引き止めてはいけないと。
だが現実はそうはいかないのも分かっていた。

近くに寺が2つあり、その影響により学校周辺の事故が多いのも、過去にギャンブルでどんな設定でも連続で5〜6回、大勝ちしたというのも関係しているらしい(のちに友人に聞いたら実際にあった事実であり、その時は奇跡的だったと)

天命ではなかったが運命だったということも考えさせられた。

本当の優しさだと信じて彼には生前叱った記憶が多々ある。
今回も皆に酷い仕打ちと思っても現実を受け止めさせるために伝えたこともある。もちろん人間として、送り出すために、医療従者としての 【ため】 である。

本当の優しさとは何なのか…私もいろいろ考えさせられる。

私は決して誉められた人間ではなく怠け者で口数多く努力は嫌いだ。

でもクラスでも年長者の一人として成さなければならないこと、それは社会にも通じるものであって、しいては国のためでもある。

つまりいろいろな経験をしてきた者が目下の者に何を伝えることができるのか。

広くは国の未来にも繋がると思っている。

過去に辛いことはたくさんあった。
死にたいと思ったことも数しれない。

だからこそ人の悲しみを知ることができる人間になれたと思うし、そうありたいと思う。

だから憎んで殺したかった人間も今は【ありがとう】と思える。
社会に出てからは自分の成長のためにとわざわざ辛いこと、厳しいことに自ら進んでいった。

お金はない、出世もしてない、だが今までがあって今の自分があり、さらにようやく人生をとして命をかけれるこの仕事に巡り合えたのだと。

だから私は嫌われようとも、その人のためになるのなら行動はする。おせっかい?偽善者?上等である。

大事なことは伝えたいと思うし盗んで糧にしてほしいと思う。

人の喜ぶ顔を見るのが私の幸せなのだから。

全てが必然で運命だと受け止めつつも未来は不変ではない。
人生というのも幼少の頃から考えていた人間だが結局答えは【考えても分からない】という結論に至った。

人生は死んだら終わるのか、あの世に行って生まれ変わるまでが一生なのか、分からないことが多いからこそ人は人であり続け探求し前に進むことができるのだと思う。

答えの無い答えが一体どのくらいあるのだろう。

最後に問いたい…

誰しもがくるその時を…死をあなたはどう受け止めていますか?

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